居場所は「命」を救う

先日佐世保で起きた高校生殺人事件についてニュース番組などでも連日報道されています。

今日もテレビを見ていたら、朝の情報番組で事件が取り上げられていました。

なぜ同級生を殺害するという事件が起きる前に事件を阻止できなかったのか?について、コメンテーターがそれぞれに意見を述べていました。

もっと学校や行政が○○すべきとか色々な意見があり、それもそうかもしれないけれど根本的にこういった事件が起こらないようにするためにはそれはどうなのだろう・・と考えさせられました。

そんな中「尾木ママ」のニックネームで親しまれている教育評論家の尾木直樹さんが言っていたことは、加害者の女子のように問題があるとわかっている子には、他の子供よりもとくに気をつけて一緒にいるようにして「あなたがとても大事なんだよ」ということを伝えてわかってもらうということが大事、ということでした。

これは学校の先生が給食の時間やそうじの時間のような短い時間でも声かけをすることで、子供にとって救いになるということでした。

「あなたがとても大事なんだよ」と言われることはどんなことを意味するのか?

そう言われることで「自分は必要とされて愛されている存在なんだ」と認識することができます。

書籍「パーミストリー」の中でも著者の興津諦が書いていますが、人間が生きていく上で一番大事な条件は「最低1つは居場所(物理的でなく心の)があること」です。

人は社会と関わっていかなければ生きていけない生き物です。

完全に1人では、生きていけません。

誰かに「ここにいていいよ」と存在を認めてもらうことで初めて居場所ができます。

居場所がない、ということは「死」をも意味します。

たとえば「いじめ」も追いつめられてどこにも居場所がなくなった時に自殺にまで追い込まれてしまうことがあります。

そこまでいかなくても「鬱」になったり、学校に通えなくなったり、生きながら死んでいるような状態にもなってしまいます。

「命の大切さを学校の道徳の授業でも強化していく」ということを事件を起こした生徒の通う学校の校長先生が言っていましたが、どうしたら命の大切さが伝わるでしょうか。

好き、嫌いに関わらずお互いが「尊い存在」だとわかるのには「良いところを探して認めあっていく」ことが必要だと思います。

たとえば親は子供に悪態をつかれようが反抗されようが、とにかく子供をひたすら生かそうとして頑張って子供を育てます。

そうすることで子供にとって家庭は「かけがえのない居場所」になります。

そして子供が年頃になると今度は友達など親以外の居場所が必要になってきて、子供自身が相手を生かすことで相手に居場所を作り、結果自分にも居場所ができるようになります。

親に「生かす意志」をもって育てられた子供は自然に親離れをして、今度は自分が周りの友達に「生かす意志」を持って存在を認めていくことができるのですが、こんな当たり前のことができない親も残念ながら昨今の事件を見る限りいるようです。

じゃあどうしたらいいのか・・。

学校の先生に任せる・・?

学校に行っている間は先生に見ていてもらうこともできますが、それ以外の場所でも周りの大人にできることがあります。


私の子供の頃は、悪いことをすると近所のおばさんに怒られました。

良いことをすれば褒めてくれたし、親以外にも見守ってくれる「目」がありました。

今はどうでしょうか?

核家族も多くなり親も共稼ぎが多く、自分の子供すら見ている時間が貴重かと思います。

でも家に遊びにくる子供の友達の様子がおかしかったら何げなく声をかけることはできます。

誰かが見ていてくれる、そして自分は大事な存在なんだ、と認識できることで救われる命があるかもしれません。

かけがえのない居場所、安心して帰れる居場所がなくなった時に人は生きられなくなったり他人を傷つけたりするのだと考えられます。

お互いが「尊い存在」だと認め合うことで、安心できるかけがえのない「居場所」ができ、尊い命が生かされ続けるような世の中になるよう望んで止みません。

書籍「パーミストリー〜人を生かす意志の話〜」
著者 興津諦
手相監修 興津寛枝
アドマック出版
(販売はアマゾンか弊社の申し込みフォームからお申し込みいただいた後発送になります)

第一章 肯定思考の20ページから37ページの間に「生かす意志」や「居場所」のことについて書かれています。
教育関係の方にはぜひご一読いただきたいと思っております。

*本書は、著者の言語学研究を土台としたオリジナルの理論で、宗教やオカルトの要素は一切なく、どなたにもわかりやすく納得いただける内容になっております。