函館戦争と土方歳三

 北海道函館山から見える夜景。
数年前までは、香港とならぶ世界三大夜景の1つだったそうです(現在は、香港、モナコ、長崎だそうです)
すべて市民の生活の灯でできている素晴らしい夜景☆
思わずため息です(*´∀`)
 昼の表情はこんな感じ。
右側の海は「津軽海峡」左側が「函館湾」だそうです。
海と海の間にあるのが函館の町ですが、幅が一番狭い所で1キロほどの距離だそうです。
 函館といえば五稜郭。
五稜郭は、徳川幕府が箱館開港に伴う防備強化のために築造されました。
どの方角からの攻撃にも備えられるようにこの形にしたとか。。

1868(明治元)年10月、榎本武揚ら旧幕府軍は蝦夷地鷲ノ木に上陸し、五稜郭で蝦夷地領有を宣言するも、新政府軍の反撃に屈し、翌年5月に明け渡しました
いわゆる函館戦争ですが、この戦争で波乱の人生の幕を閉じた新選組鬼の副長と恐れられた土方歳三。

 2004年に放映されたNHKの大河ドラマ「新選組!」では、俳優の山本耕史さんが演じていましたが、実際にも男前だったことで知られています(^○^)
武士よりも武士らしい生き方を貫き散っていった土方を慕うファンは今も多いのです。
そんな土方歳三を六甲法占星術で分析してみました。
六甲法占星術は、人間も自然の一部であると考え、「東・西・南・北・天・地」の六つの方向に分け、性格などを分析します。

性格・・東の気質をもった性質。
「東」は太陽が登る方向なので「始める力」があります。
そのため親とは違った仕事につきやすいことも。
親とは縁が薄いことも特徴で、生死を問わず別れていることも多い。(とくに父親)

土方は多摩の豪農の両親の六人兄弟の末っ子として生まれましが、両親とも結核でまだ幼い頃に死別していて兄夫婦によって育てられたそうです。
呉服屋に奉公に行ったり石田散薬の行商をしたりしていたけれど、少年の頃より「武士になりたい」と常々言っており、実際にそうなったんですね〜(゚д゚)

行動力があるが、けっしてパワフルではなく、派手ではない。
中身はかなりの努力家。

兄のいいつけで薬の行商にいった時、義兄の剣術稽古を見てその魅力にとりつかれた土方は、同時に道場という道場へは必ず立ち寄って、指南を受けていたとか。
新選組の剣術稽古でも高いところで座って見ている近藤勇や芹沢鴨と違い、歳三は自ら胴を着けて汗を流しながら指導していたそうです。

なんでも見ただけでかなりのことが理解できる。
師匠いらず

新撰組という雑種雑多な人間の集団をどのように組織化して運営していったのか?
この組織の運営の仕方は実は少年時代から体でおぼえたことのようです。

土方家では「石田散薬」という妙薬を家伝薬として製造していて、この作業には、石田の集落の人が総出で毎年応援していたそうです。
大人数を動かして作業を進めるためには「組織」が必要で、それを運用する頭が必要ですね。
それを土方は好んで14歳の頃からやっていたというから驚きです!
きっとこの経験を積みながら組織のあり方を早くから学ぶことができたんですね。

東」タイプは人から学ぶより自分で体験して覚えることが得意。
人から言われたことをやるだけ、誰がやっても同じ仕事には興味をしめさない。
自分の個性が生かされる仕事に生きがいを感じる。

まさにこの頃の体験が新撰組を管理していく上で役立ったと思われます。

そして「東」タイプは正義感があり仲間や同僚の不誠実を嫌う。

新撰組鬼の副長ともいわれ、規律を守らない隊士には徹底して処罰をしました。
(TVでも隊士の切腹シーンは多く切なかったですね・・)
新撰組の死亡原因一位は「切腹」だそうで、内部紛争に明け暮れていたなどとして非難する声もありますが、血縁や主従関係がなく目的意識も必ずしも一緒ではない組織をひとつにまとめるには、致しかたなかったかもしれません。
土方は局長近藤勇と新撰組を守るため徹底して汚れ役になりきり、自分の役割を全うしたといえそうです。

でも決して非情ではなく、元々は人情味があり、困っている人や弱い人をほっておけないところがある。

新撰組局長 近藤勇が亡くなった後は多摩時代の温和な性格に戻ったようで、箱館戦争当時には「温和で、母のように慕われていた」といいます。近藤が亡くなったことで今までの「新撰組をまとめなければいけない」という重圧から解放されたのかもしれません。

慣習にとらわれず、良いと思ったものは柔軟にとりいれる。

明治以後の洋装も抵抗なく取り入れ、舶来の懐中時計等も持っていた。
また、戊辰戦争の時には近代戦術にも理解を示して実践し、成果を上げている。

外見
人当たりがよくソフトな印象。
話も上手。

土方は女性のようなもの優しい顔で、如才のない愛嬌者だったので、どこに行っても親切に扱ってくれたそう。
愛想もよく人々に好感をもたれていた。
新撰組で活動中には自分の役割を果たすためか180度性格が変わったといわれています。


恋愛
テレ屋。
なかなか自分から「好き」だとは言えない。
頼られたり、必要とされると断れず、恋愛になっていくことが多い。

浅く広くのタイプと深くひとりの人を愛しつづけるタイプがあるけれど土方の場合「自分の立場で一人の女性を守り続けるのはムリ」と考えて、あえて自分からあまり女性に深入りしなかったのではないかと思います。

仕事に集中すると、女性のことは眼中になくなる。
情があるため適当な恋愛、結婚はできない。
それならと独身を貫いたのではないかと思われる。
(京都で新選組副長として活動していた時などは、日野の仲間に向けて多数の女性からの恋文をまとめて送って自慢するほどモテモテだったそうですが・・)

このように分析してみましたが(引用元:Wikipedia)土方歳三はまさに「東」という自分の持ち物を生かしきって、動乱の世を生き抜いたのだと思います。

ちなみに「東」タイプの歴代の総理大臣には、小泉純一郎氏や鳩山由紀夫氏、菅直人氏などがいます。

「東」タイプの人がトップに立った場合、集団の「気」ががらっと変ることがありますが、たしかにそうだと言えますね。

ただ「東」タイプの人が実力を発揮できるのは、若い時に苦労を味わったり、様々な経験を通してきた場合に限ります。
もともと初代運の人(自力で道を切り開く人)が親の庇護をうけて甘えていたりすると、実力発揮どころか集団をかきまわして余計に悪くなってしまう・・ということもあるかもしれません。

このタイプの子供さんを持つお母さんは、子供に小さい頃から「自立心」を身につけさせた方がよさそうです。 

またこのタイプの彼や旦那様は、仕事で自分を表現することが生きていく上でとても大事なことになります。

彼女や家庭ももちろん大事ですが、仕事に集中している時は話しかけてもうわの空になったりツレなく見えることもあるかもしれません。

でも彼女や奥さんのことはいつも理解したい、と思っています。
何かの時に「サプライズ」して喜ばせてくれるのもこの東タイプです。

自分の至らないところも受け入れてくれるパートナーにはぞっこんのはず(^^)

相手の持ち物を理解してより愛されるあなたに☆