手はその人の存在そのもの

 先日、ある大人の女子会(ワインパーティー)に参加させていただきました。
そして即席「手相鑑定会」に(^ ^)
占いというよりは、その人の持ち物である「性格」を重点的に見て差し上げました。

見た目には可愛らしい女性も手を見たら実は「いろいろ決断できて意外と男性的な性格」の持ち主だったり。。
おともだちにはもちろん本当の性格はわかるのですが、初めて参加されていた他の方が「パッと見た印象とは違うこともあるんですね〜」と感心することしきり^o^

いつもと違う「女子会」になったと言っていただきました。

人が集まる場所で、「ちょっと手を見せて」というと大体手を見せてくれて、「場」が和むんですよね。

手相を見る以前に「その人の存在」を感じることができて「温かい気持ち」になれるからだと思います。

私の父は3年前に他界しましたが、亡くなる直前に入院中の父の手を握る機会がありました。

肺炎を起こしているため「痰」が溜まるのですが、それを吐き出す力がもうなくなってきていました。

そのため吸引を決まった時間ごとに看護師さんにやってもらうのですが、なんとも苦しそうで見るに堪えません。

思わずお父さんの手を握りしめたら、苦しいのか力強く手を握りかえしてきました。

その大きくて力強い手から感じたことは

「優しさ」

「あたたかさ」

でした。

意外な印象を受けて私は少し驚きました。

なぜなら父が元気な時は私は父が苦手で、あまり近寄らなかったからです。

特に私が10代〜20代の若い頃は、何をしても「やってはダメ」と否定され文句をつけられて、それをくどくど言われることに反発していました。

30代を過ぎてからもずっと気難しい父が何となく苦手で、ほとんど話という話をしませんでした。

そんな中で迎えた父の最期。

人に「こうしろ、ああしろ」という要求が多かったり、極度の心配性だったりするのは父の「存在そのもの」ではなくて父が持たされている「持ち物」のせいだったんだということに気づくことができました。

父の「存在そのもの」は、暖かくて、本当は大きな愛情で私を見守っててくれたんだなということがわかり、手に触れる機会を与えてもらえて本当に良かった、と心底思いました。

私のようにどうしてもわかりあえない親子やご夫婦もいると思います。

別れてしまう前に、そのひとの存在を感じられる「手」に触れることをぜひしていただきたいと思います。

触れるだけでもいいのですが、手相もわかると本当にそのひとが持たされてしまっている「悪い持ち物」がよくわかります。

それが理解できたら、そのひとが居てくれるだけで幸せという気持ちになれます。

自分の「居場所」で居てくれるひとをぜひ大切にしていただきたいと思います。