沖縄旅行 ひめゆりの塔

先週の大型台風11号の合間をぬうように沖縄旅行に行ってきました。
私の母と娘の3世代女子旅です。
お天気にも恵まれて最高の旅行になりました(^^)

 ちょうどまとめて勤務先の会社の休暇がとれた娘がまだ沖縄に行ったことがないため、沖縄を行き先に選んだこともありますが、私の母が「ちょうど戦後70年になるから孫にひめゆりの塔を見せておきたい」と強く思ったことも大きな理由です。


 私はまだ原爆の投下された広島原爆ドームも見たことがなく、はじめて戦跡を巡ることになりました。
この日は、当時の「ひめゆり部隊」だった語り部の方が直接館内を案内してくださって、貴重なお話をお聞きすることができました。
1945年3月24日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名が南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍したそうです。

とても病院とは名ばかりの洞窟(がま)の中で必死に怪我をした兵士の看病に当たるひめゆり達。
怪我をしたため切り落とされた手足の処理や遺体の埋葬、または壕の外では激しい銃弾の飛び交うの中、命がけで水汲みをしていたひめゆり達の様子は想像を絶するものがあります。

怖いなどと言っている余裕もなくただ必死に病人の世話をするしかなかった・・。

でも戦局が絶望的になると急に解散を言い渡され、とまどうひめゆりたち。

壕の外は一層ひどい銃撃線で、壕を出るということは事実上「死」を意味することだったそうです。

実際に解散命令後に命を落とした人(自害も含めて)は100名以上に上るそうです。

米軍に捕まれば、体を割かれひどい殺され方をする・・と教育されたため捕虜にならず自害をする人も多かったそうです。

今のように情報を容易に収集できるわけもないため、言われたことを信じるしかありません。

本来なら助かったはずの命が失われていったことは痛ましいとしか言いようがありません。

案内してくださった方も「私は、友達や仲間とはぐれてしまったからたまたま助かった。そうでなければ友達と同じように持っていた手榴弾で死んでいただろう」と話して下さいました。

死んでいった親友も「こんな所で死にたくない、せめて明るい太陽の下で死にたい」と言っていたそうです。

まだ若干16歳の少女。

本来だったらなんの心配もなく友達と笑いころげたり、遊んだりできたはず。

「戦争はもう絶対あってはなりません」

「命を大切になさってくださいね、どうぞお元気で」

と見送ってくださった語り部の方も80代後半。

後世に戦争の痛ましさを伝えなければという一心で頑張っていらっしゃいますが、残された若い世代である戦後生まれの私たちが、しっかり受け継がなければなりません。

戦争は人の心(脳)を狂わせます。

正常な判断ができなくなります。


戦争でなくても毎日のようにニュースで報道されている殺人事件なども同じで、人が自分の「脳」に支配されている状態になってしまいます。

自分を守るために(〇〇のためになど大義名分はあっても)相手を殺すしかない・・という間違った思考に取り憑かれてしまいます。

本当に大切なのは相手の存在(命)であるのに、それよりも自分の思考(自分が正しいという誤った思考)に支配されてしまうことは恐ろしいことです。

まずは家族や身近な人の存在を認めて生かしていくことから始めていって、万が一間違った思考になったら、教えてくれる人がいるような人間関係を築いていければよいと改めて感じた今回の戦跡めぐりでした。